Yamashio & Artisan

山塩と匠

幻の塩「山塩」

海がない、長野県大鹿村の山から採れる天然の塩を「山塩」と呼んでいます。その山塩の元は、鹿塩温泉の源泉(塩泉)。朝から夕方までじっくりと煮込むと、塩分だけがのこり、「塩」が精製されます。源泉から精製される量は「僅か3%程度(1Lから30g)」とかなり少なく、地道な職人作業なのです。その山塩は大量生産できないこと、そして歴史を踏まえて「幻の塩」とも呼ばれています。

山塩の特徴

山塩は、口の中で苦味やべったりとした印象を与える、マグネシウム(にがり成分)成分が、海水から造るお塩と比較すると極めて少なく、とてもさらりとしたお塩です。角の無い柔らかな塩加減で、塩からさの中にも甘味を感じるとても特徴的な味わいです。

山塩の販売

1袋/50g ¥600円(税込)
館内にてお一人様に付き1袋限定で販売しております。旅館近くの塩の里直売所でも販売しておりますが、生産量が限られますので数量に限りがございます。

山塩の匠、山爺からのメッセージ

浪漫
〜Roman〜

この鹿塩温泉の地は、古来より滾々と湧き出す「塩の湯」が地名の起源となります。平安時代末期には「鹿塩」という名の荘園として存在し、塩分を含む湧水は馬の牧場を営むのに適する事から、既に相当な開発がされていただろうと考えられます。

更に遡ると、神代の時代に建御名方神(たけみなかたのかみ)が狩りの際に鹿が好んで飲む水から見つけたとか、あるいは弘法大師が塩が不足する地に杖を突き立て湧かせたといった伝説が残っています。

また、地学的な学説ではフィリピン海プレートの岩盤に閉じ込められた海水がプレートの移動と共に、少なくとも2万年の時を越えて遙か南アルプスの山麓に湧き出るとも言われています。

いずれにしても当館の誇る新雪にも似た真白な「山塩」は、浪漫溢れる伝説の汚れ無き「山塩」であり、この地の宝であります。

歴史
〜History〜

山塩館の興りは明治に遡ります。阿波徳島藩の家臣であった黒部鉄二郎が藩や学校で学ぶ中、「salt mine」=「岩塩」という言葉に出会いました。

その後、大鹿村で塩水が湧く事を耳にした黒部は、塩が非常に価値のある時代であった事から岩塩採掘を夢見て大鹿村を訪れました。明治9年には試掘に着工。同12月より本格的な掘削を開始。ですが、掘れども掘れども岩塩は見つからず借金ばかりが増える一方でした。

製塩や塩せんべい、塩アメなどを販売して糧とし、なんとか生活していましたが、岩塩を掘り当てるという夢を諦めきれずにいる中、明治25年4月4日に当時の日本軍初代軍医総監に着任していた松本順の勧めで療養に向いた入浴施設の営業を開始しましたが、明治31年に起こった水害により全てが失われてしまいました。

その時、先祖である平瀬理太郎が一切を投じて後継者となり黒部氏の助力をしましたが、借金は重くのしかかり、差し押さえを逃れるため木箱に着物などを詰め縁の下に隠すなど大変な苦労があったと伝え聞いています。 代々継承されてきたこの山塩館でありますが、苦労に苦労を重ねた歴史があれど、秘湯の宿としてお客様に長年愛され営むことができました。皆様には感謝の気持ちしかございません。名物である山塩共々、今後ともよろしくお願い致します。